どこか澄んでいる秋の夜空。そう、今宵は中秋の名月。古来より人々が愛で、宴を開き、豊穣に感謝を捧げたお月様。「お月見」とは、まん丸な満月と、それを模したまん丸な月見団子がセットであり、それを疑いようのない事実だと信じていた。しかし、「中秋の名月は、必ずしも満月とは限らない」ことを知ってしまった。そのことを少し寂しく思ったのは本当だし、ちょっぴり物知りになったような気分になったのも事実である。それを考えるに、完璧ではないことを許容することが「大人の理解」というやつなんだと気がついた。さて、そんな大人の理解を携えて、今宵の月にふさわしいお供物を探しに出る。頭の中にはもちろん、あの白くて丸い月見団子があった。しかし、私の足は思わぬ場所で止まることになる。ふと目に飛び込んできた、老舗の暖簾。「出入橋きんつば」。月見に、きんつば。丸と四角。団子ときんつば。普通なら結びつかない選択肢が、今夜の「満月」と見せかけて、実は満月ではない不完全な月と相重なって、妙に魅力的に思えた。これこそが、計画通りにいかない人生の面白さではないか。夜が来た。夜空に浮かぶ月は、満ち足りる一歩手前の、わずかな陰りを宿している。満月マイナス1日。その完璧ではない姿は、かえって思索的で、見る者の想像力を掻き立てる。薄紙をめくると現れた、行儀の良い立方体。薄皮の向こうには、艶やかな小豆がぎっしりと詰まっている。一口含むと、上品な甘さがじんわりと広がり、一日の疲れを溶かしていく。丸い月を眺めながら、四角いきんつばをいただく。このちぐはぐさが、たまらなく心地いい。完璧な満月と完璧な月見団子。それはそれで、一点の曇りもない美しい世界だろう。しかし、少しだけ欠けた月と、思いがけず手にした四角い菓子がもたらしてくれたこの時間は、誰のものでもない、私だけの「お月見」になった。人生もまた、満月マイナス1日の連続なのかもしれない。完璧を求めながらも、その手前の不完全さの中にこそ、自分だけの愛おしい風景が見つかる。そんなことを、四角い満月が教えてくれたような、美しい秋の夜だった。




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